少年野球の練習中、かつては元気に走り回っていた子が急に「バテやすくなった」「動作が鈍くなった」と感じることはありませんか? 指導現場ではこれを「精神的な弛(たる)み」や「根性の不足」と捉えてしまいがちですが、医学的な視点で見ると、全身の代謝を司る「甲状腺ホルモン」の働きが低下している可能性があります。
甲状腺ホルモンは、いわば心身をスムーズに動かすための「潤滑油」です。このホルモンの役割と、スポーツ少年・少女に与える影響について詳しく見ていきましょう。
1. 全身の「エンジン」をコントロールする役割
甲状腺ホルモンは、のどぼとけの下にある「甲状腺」から分泌され、体中のほぼすべての細胞に働きかけます。その主な役割は「代謝の維持」と「組織の成熟」です。
- 代謝のスイッチ: 摂取した栄養をエネルギーに変え、体温を維持し、心臓や脳を適切なスピードで動かします。
- 組織の成熟(特に脳と骨): 子どもの成長において、甲状腺ホルモンは成長ホルモンと並んで不可欠です。特に骨の成熟や脳の発育において、特定の時期に欠かすことのできない「時間窓」のような役割を果たしています。
2. 「根性の欠如」と誤解される低パフォーマンスの正体
甲状腺ホルモンが不足した状態(甲状腺機能低下症)になると、体のエンジンが低回転になります。野球のパフォーマンスには以下のような悪影響が現れます。
- 極端な疲労感と無気力: 十分に寝ているはずなのに常に眠く、練習に身が入らなくなります。
- 動作の鈍化と徐脈: 反応速度が落ち、足が遅くなったように見えます。また、脈拍が遅くなる(徐脈)ため、持久力が低下します。
- 寒がりと皮膚の乾燥: 夏場でも汗をかきにくくなったり、逆に冬場に異常に寒がったりすることがあります。
- 便秘や顔のむくみ: 代謝が落ちるため、顔が腫れぼったくなったり、頑固な便秘に悩まされたりします。
これらは本人の努力で解決できる問題ではなく、体内の「化学的な潤滑油」が切れている状態なのです。
3. 背が伸びないのに「太る」というサイン
甲状腺ホルモンが不足すると、成長ホルモンが十分に分泌されていても、身長の伸び(線形成長)が著しく停滞します。
- 成長の停滞: 身長が伸びなくなる一方で、代謝が落ちるため、体重だけは維持されるか、あるいは増加する傾向にあります。
- 骨年齢の遅延: レントゲンを撮ると、実際の年齢よりも「骨の年齢」が大きく遅れていることが特徴です。
もし、お子さんが「最近身長が止まったのに、体だけはがっしり(あるいはポチャッと)してきた」と感じるなら、それは単なる肥満ではなく、内分泌疾患の重要なサインかもしれません。
4. 少年期に多い「橋本病(慢性甲状腺炎)」
子どもの時期に起こる甲状腺機能低下症の最も一般的な原因は、「橋本病(慢性甲状腺炎)」という自己免疫疾患です。
- 10代に多い: 思春期にかけて増加し、女子に多いのが特徴ですが、男子にも見られます。
- 家族歴の影響: 家族に甲状腺の病気がある場合、発症のリスクが高まります。
- 気づかれにくい「緩やかな進行」: 症状は非常にゆっくりと進むため、親も指導者も「最近少し元気がなくなったかな?」程度で見逃してしまい、数年後に重度の低身長になってから気づくケースも少なくありません。
5. 保護者と指導者ができること
甲状腺の不調は、血液検査(TSHとフリーT4の測定)で簡単に見つけることができ、適切な治療(ホルモン補充療法)によって劇的に改善します。
- 成長曲線をつける: 半年に一度、身長をプロットしてください。曲線が横ばいになったら、すぐに専門医へ相談しましょう。
- 「精神論」の前に「医学的な疑い」を: 以前まで活発だった子が急に怠慢に見えるようになったら、叱責する前に「体の中で何かが起きていないか」を考えてみてください。
甲状腺ホルモンという「潤滑油」を整えることは、根性論で追い込むよりもはるかに確実に、子どもたちの本来のパフォーマンスと健やかな成長を取り戻すことに繋がります。
参考文献
- Maria Segni, “Disorders of the Thyroid Gland in Infancy, Childhood and Adolescence”, Endotext (2017).
- Andrew Calabria, “Hypothyroidism in Infants and Children”, MSD Manual Professional Edition (2024).
- John D. Carmichael, “Generalized Hypopituitarism”, Merck Manual Professional Edition (2025).
- Philip G. Murray, Peter E. Clayton, “Disorders of Growth Hormone in Childhood”, Endotext (2022).
- Berrin Ergun-Longmire, Michael P. Wajnrajch, “Growth and Growth Disorders”, Endotext (2025).
- “Growth hormone deficiency – children”, MedlinePlus Medical Encyclopedia (2023).
