少年野球の現場では、「体が小さいのは食が細いからだ」「もっと走り込んで体力をつければ背も伸びる」といった指導が繰り返されています。しかし、最新の遺伝学では、成長ホルモンが体内で正常に分泌されていても、その指令が細胞にうまく伝わらない「成長ホルモン抵抗性」という状態があることがわかっています。
その代表的な原因の一つが、1,000人〜4,000人に1人の割合で見られるヌーナン症候群(RASopathies)です。
目次
1. ヌーナン症候群とは:細胞内の「通信障害」
ヌーナン症候群は、細胞の増殖や分化を調節する「RAS/MAPKシグナル伝達経路」に関わる遺伝子の変異によって起こります。
- PTPN11遺伝子: 最も一般的な原因遺伝子(全体の約50%)です。
- 指令の遮断: 脳から成長ホルモン(GH)が分泌されても、この遺伝子の変異によって細胞内のスイッチが「指令を受け取らない」あるいは「誤った処理をする」状態になります。これが「成長ホルモン抵抗性」です。
2. 少年野球の現場で見逃されやすい「軽症例」
ヌーナン症候群には特有の身体的特徴がありますが、症状が非常に軽い「軽症例」の場合、単なる「小柄で少し特徴的な顔立ちの子」として野球を続けているケースがあります。
保護者が気づくためのヒントは以下の通りです。
- 顔立ちの特徴: 広いくぼんだ鼻筋、低位で後ろに傾いた耳、眼瞼下垂(まぶたが下がる)など。
- 骨格の特徴: 胸板が異常に厚い、または凹んでいる(漏斗胸・鳩胸)、首が太く短い(翼状頸)など。
- 運動面: 運動発達の遅れや、注意欠陥多動性障害(ADHD)のような行動特性が見られることもあります。
3. 野球少年への深刻な警告:隠れた心疾患と夏場のリスク
ヌーナン症候群において最も注意すべきは、高い確率(約50%以上)で先天的な心疾患を合併していることです。
- 心臓への負荷: 肺動脈弁狭窄症や肥大型心筋症が隠れている場合があります。これらの疾患がある子どもに、「根性論」で過酷な夏場の練習や長距離走を強いることは、生命に関わる重大なリスクを伴います。
- 出血しやすさ: 凝固因子の異常により、怪我をした際に血が止まりにくい、あるいは青あざができやすい傾向があります。デッドボールや激しいスライディングには注意が必要です。
「中学・高校のために、今のうちに暑さに耐える体を作る」という精神論は、このような疾患を抱える子どもにとって、健康を鍛えるどころか命を脅かす行為になりかねません。
4. 科学的なサポートと治療
この状態は気合や食トレでは改善しません。しかし、医学的な介入によって成長を助けることができます。
- 成長ホルモン療法: ヌーナン症候群による低身長に対しては、多くの国で成長ホルモン(rhGH)治療が承認されています。4年間の治療で平均+1.3 SDS(約8〜10cmの底上げに相当)の改善が見られたという報告もあります。
- 専門医によるスクリーニング: 心臓のエコー検査や凝固系の検査は、スポーツを安全に続けるために不可欠です。少しでも違和感があれば、小児内分泌医や循環器専門医に相談してください。
まとめ:その「小柄」に隠されたSOSを見逃さない
野球の才能や根性以前に、お子さんの身体の仕組み(遺伝子)がどのような特性を持っているかを知ることは、親にしかできない重要な役目です。
「食べないから伸びない」と責めるのではなく、「なぜ指令が伝わっていないのか?」という科学的な視点を持ってください。過酷な練習を強いることよりも、適切な医学的診断を受けることこそが、お子さんの命を守り、将来の可能性を広げる唯一の道です。
参考文献
- Dauber, A., et al. (2025). International guideline on genetic testing of children with short stature (Version 8).
- Endotext. Growth and Growth Disorders.
- Polidori, N., et al. (2020). Deciphering short stature in children. Ann Pediatr Endocrinol Metab.
- Roberts, A. E., et al. (2013). Noonan syndrome. The Lancet.
- Jorge, A. A. L., et al. (2022). Outcomes in growth hormone-treated Noonan syndrome children. Endocr Connect.
